――――2015/9/11 放課後 LEAVESの部室にて――――
「…そうそう、羽柴ちゃんな。始業式から、学校に、来てないんだってなー!?」
健はこう自分に報告をした。
この日の部室には、自分と健の2人っきり。
少し涼しくなった陽気に、アールグレイをホットで淹れて飲んでいた。
健の報告と言うのは、同じキャンパスの中学校に通っている陽桜ネの事だった。
事の起こりは、9月3日、勇介が危険な依頼を受けた事を知らせて来た事から始まった。
その依頼の参加者を選別する中に、陽桜ネも顔を出したという事を聞いたからだ。
7月の文化祭の後から、あたしは陽桜ネに会っていないのだ。
途中、輪音おばさまから連絡があったり、色々あったのだが、
とうとう今日まで陽桜ネとは一度も顔を合わせていない。
夏休み中はそれでも良かった。
あたしは鎌倉の実家に帰っていたし、臨海学校以外ではほとんど学校に来ていないから。
しかし、学校が始まったとなると、必然的に顔を合わせる機会が増える。
それなのに、顔を合わせないものだから、先程の連絡の事も合わせて、
あたしは底知れない不安を感じたのだ。
ただ一点、陽桜ネが会いに来てくれない事に…。
あの一件が、まだ引き摺っているのは容易に想像できる。
何せ、あたし自身も会いに行く勇気が湧いてこないのだ。
自分から去って行った陽桜ネは、もっと苦しいのだろう。
それでも心配で様子を見たいと思うのは、
例え身勝手でも、
思わずにはいられなかった。
依頼の準備に忙しい勇介には頼めない。
自分で会いに行くのは、拒絶されるのが怖くて出来ない。
今のあたしが頼れる人は、健以外に居なかった。
「え?でも、あの依頼の説明の場には来てたって…。」
「…ああ、それは間違いないらしいぞー?!」
健の話では、陽桜ネのクラスメイトたちは、
今学期になってから陽桜ネの姿は見ていないとの事。
逆に、依頼説明の場に出ていた人からは、目撃証言が得られたらしい。
「…あー、言いにくいんだけど、その時の羽柴ちゃん、すごい暗い顔してたみたいだな。」
いつも明朗快活な健には珍しく、声のトーンを落とした言い方だった。
それもそのはず。
健からしたら、陽桜ネがこんな事になってるのに何も情報がないのだから。
これだけ決定的な状態になっている以上、話した方がいい、と思った。
空になっていた健のカップに、湯気の上がる紅茶を注ぐ。
自分にも注ぎ、温めたミルクと蜂蜜を一匙混ぜて、一口含む。
ほぅ、と一息吐いて、健に向き直る。
「健、陽桜ネの事、話しておこうと思うの。」
「…おう、羽柴ちゃんの現状と、何か、関係があるんだなー?!」
一つ頷いて、瞳を閉じ、息を整える。
健を巻き込んでしまう事に申し訳なさを感じながら、覚悟を決める。
”健には” 知っていてもらいたいと、”あたしが” 思ったから。
「あたしね、学園祭の日から勇介と付き合ってるの。」
「…おうっ、知ってるぞー!臨海学校の時、勇介に聞いたからなー!?」
「………、あの時勇介が来てたのは、そういう事なのね…。」
ちょっと勇気を出して言った事が、すでに知られているのは恥ずかしく、
頬が熱くなってくる。
「…なー、勇介も言ってたけど、それが、羽柴ちゃんの事と、関係あるんだなー?!」
ちょっと戸惑った様な健の言葉に引き戻される。
「そ、そうなの。それをね、次の日に陽桜ネに報告に行ったの。そこでね…、」
あたしは詳細にその時の様子を語る。
恋愛に戸惑って分からなくて陽桜ネを頼った事、
そこで陽桜ネの態度がおかしかった事、
「…ちょっと、待ったー!?それ、どこがおかしく感じたんだー?!
僕には、普通に祝ってるようにしか見えないぞ!!」
「そうかもしれないわ。あの時は、漠然とそう思ったの。でもね、よく考えたら…、」
「『おめでとう』って、言ってくれてないの。」
息を飲む音が聞こえた。
「健が知ってる陽桜ネは、それを言い忘れる様に思えるかしら?
それに、陽桜ネなら自分の事の様に喜んでくれるはず。
あたしも、そう思ったから、陽桜ネに相談に行ったの。」
でも、結果は違っていて、そして今、すれ違っている。
「それで、すごく不安になって、それで、聞いちゃったの。」
―――陽桜ネ、どこにも行かないわよね?ーーー
これ自体は、問題じゃなかったはず。
でも、その後の自分の対応が、最悪だったと思う。
見送るでもなく、引き止めるでもなく、
ただ、呆然とするだけ。
見送る事が出来ていたら、陽桜ネはここまで悪化してなかったかもしれない。
引き止める事が出来ていたら、今一緒に居られたかもしれない。
「それで、その後は陽桜ネは走って行っちゃったの…。
あたし、それを追いかけれなかった…。」
知らずに涙が溢れてくる。
あの時の自分が悔しくて仕方ない。
今も苦しんでる陽桜ネに、会うのが怖い事が悔しい。
「あたし、動けなくなったんだけど、勇介が来てくれたから何とかなったの。」
目元を拭って顔を上げる。
「去ってからすぐに、陽桜ネが勇介に連絡したみたいなの。
あたしの事を、任せる為に…。」
「それが、あたしと陽桜ネの間であった事。まだ解決出来てない事。
話すのが遅くなってごめんなさい。」
「…おう、それで、僕に、羽柴ちゃんの様子を見る様に、頼んだんだな?」
「………、うん。でも、学校に来てないなんて…。」
健は冷めかけた紅茶を一口啜る。
「…曜灯は、そのままにする気は、ないんだよなー?」
もちろん、とばかりに頷く。
何とかしたいから、陽桜ネの様子を探ったのだ。
会う勇気が出れば、話が出来れば、何とか出来ると思う。
夏休みの間、それを沢山考えた。
でも、あたしには勇気が決定的に足りない。
スキルがあったからこそ、今まで自信をもって行動出来た。
でも、今自分が持っているものは、”願い”でしかない。
否定も拒絶も、怖い、怖い事しかない。
「…なー、僕が力になれる事あったら、なんでも言ってくれなー?!」
力強くて包容力がある、真っ直ぐな声があたしに掛けられる。
三國・健。
陽桜ネ、勇介、あたしの3人は、どこかで家族ぐるみの繋がりがある。
LEAVESに集まるいつもの4人の中で、健だけは、輪の外からくる仲間。
でも、あたし達4人の集まりの中で、大事な人。
適度な距離感で、真っ直ぐな言動で、あたし達を繋ぐ鎹の様な人。
健が協力してくれるなら、また、いつもの4人に戻れる気がする。
「健…、お願いが、あるわ………。」
立ち上がって健に近寄り、手を取って両手で包む。
「…おぅっ、曜灯、どうしたんだっ?!」
頬を涙が伝っていく。
瞳を閉じて、祈る様に言葉を紡ぐ。
「あたし、陽桜ネを、必ず、ここに、連れてくるから…、」
「だから、健はいつもの健のまま、健の思う通りに、陽桜ネを迎えて上げて欲しいの。」
涙声で上手く伝わったか分からない。
でも、健ならあたしの言葉を汲み取ってくれると思えた。
それは人任せにしか聞こえないお願いでも、あたしが言葉にして直接伝えてはいけない事。
「…おう、良く分からないけど、羽柴ちゃんに戻って来てもらいたいのは、
僕も一緒だからなっ!曜灯も、よろしく頼むなー?!」
これで大丈夫。
きっと良くなる。
あとは、あたしが勇気を出すだけ。
この勇気を ”覆い隠す” 恐怖に打ち勝つだけ。
安堵の息を吐いて、ある事を思い出す。
「そうだわ、健、一緒に行ってほしい所があるの。」
一枚のプリントを、健に渡した。
――――2015/9/13 夜 曜灯の仮家にて――――
今宵の月は、人の心を映す魔境の様で、静かで優しく、そして凶暴だった。
不安も恐怖もある、けど、戦わないとならない。
大事な人の為、大事な人たちの為、そして、あたし自身の為。
弱いあたしを見守る月は、何も言ってはくれない。
でも動かないと。
スマートフォンを取り出し、ある人に電話を掛ける。
大事な人の母親へと。
「もしもし輪音おばさま?陽桜ネの事で、お願いがあるの。」
体が少し冷えて来て、通話しながらベランダから部屋に入る。
あたしを見下ろしていた月は、まだ煌々としているだろうか?
ふと、そんな疑問を覚えながら、輪音おばさまとの通話に集中する。
―――― そして、月は、再び隠れる。
まるで、幕を、下ろされた、舞台の様に。
夜の、”帳” は、降りたばかり…。 ーーーー